今年は季節の進みが遅い・・・それは庭の植物からも感じることで、あくまでディアガーデンの場合ですが、バラもアジサイも花芽が付くのが1週間以上遅かった。しかも花自体も例年に比べて小さいんですよね。
それは、何となくそう思う、というのではなくて、過去の画像と比べてのことなので確かです。
実は、アプリが撮影データを勝手に参照して、何も言わなくても「昨年の今頃はこんなんでした」と報告してくれます。データさえあれば、2年前、3年前も同時にまとめて見せてくれるので便利です。
花が遅くなるのはまだわかるとして、小さくなるのはどうしてかなぁ。私、何かしたっけ?なんて色々考えてしまいます。どちらにせよ微妙な変化を植物は繊細にキャッチしているんだなぁって思います。
関西はいまだ梅雨入りせず。でも昨日から降ったり止んだりで、こういう梅雨を思わせる天候のことを「走り梅雨」とか「迎え梅雨」と言って。雨が多い日本はとかく雨の呼び名が多いですね。
植物にとっての雨というのは、人がやる水とは、また違うもの、似て非なるもののようです。その差は長雨のあと庭に出て見るとよくわかります。雨の降る前に比べて、植物が格段に生き生きとして、成長したような感じを受けませんか?
人がホースで撒くのと違って、万遍なくじっくりと染み渡るからかなぁと、単純に考えていたのですが、どうもそれだけではないらしいの。
水は強力な溶媒という特徴があります。雨粒は落ちてくるときに、大気中の酸素、窒素、その他の微量ガスを吸収するのです。それだけでなく、下方に回転する動きによって、強い生態電気場、生体磁気場も作り出します。これらが本質的に生命を授ける性質を持つエネルギーポテンシャルを生み出すそうです。
雨粒が葉や土に落ちると、集められた非物質エネルギーと共に酸素などのガスが吸収され、活動と成長を促すのだそう。人がやる水は雨粒に比べ、落下距離がはるかに短いために、このようなエネルギーはほとんど含まれないのです。
―オーストリアの自然科学者V・シャウベルガー(1885~1958)の考察より引用
雨の休日は、様々な知識に触れる静かな時間。
植物学だけでなく、自然・生物科学の本が好きで、時々読むことがあります。