前回に続き、今月初めにお引き渡しが済みました県外某所での作庭の様子を綴ります。
建築設計事務所様とお客様のご希望で、雪見燈籠のある枯山水風のモダンな坪庭を作庭します。工程の終盤に入り、いよいよ枯れ流れを作る作業に。
枯山水庭園では、砂利に熊手などを使って砂紋を描き、波や流れに見立てます。寺社では庭掃除の仕上げ行うもので修行の一環とされる行為ですから、一般家庭では難しいことかもしれません。そこで予め砂紋を描き固定してしまうことにしました。流れに見立て瓦で筋目を描き、仕上げに白い砂利を敷き詰めます。
瓦といっても屋根瓦ではありません。材質が瓦と同じというだけで、短冊状に整形された製品を選びました。ディアガーデンの庭にも多用しているように、いぶし銀の素材は庭でも違和感がなく、植物とも合うように思います。(間仕切りとして即興で熨斗瓦は少し使いました)
さて、枯れ流れの施工に際しては、細かい話ですが、瓦そのものにも表裏があるので綺麗な面で統一してもらう、また水勾配をつけつつも天端をキッチリ揃えてもらうこと、築山に向かうにつれ瓦間の空きスペースを狭くしてもらい遠近感を出すこと、など、かなり難しい注文を出しました。
言うのは簡単ですが、作るのは大変です。
施工パートナーは「自分の仕事をこの庭に刻むんです。印象を残したい」みたいなこと言われていたように思います。職人魂を見せていただきました。
ちょっと話がそれますが、私が思う職人魂とは。
求め相応かそれ以上の出来や仕事の丁寧さ、納期を守ることは言うに及ばずですが、難しい注文を面白がって、手を掛けることを惜しまず一生懸命に仕事をすること、自分なりに道具を工夫もし、時にくじけそうになったら自分で自分を励ませること、です。
ここまで書いてふと昔、竹道具の名工廣島一夫氏の手仕事展を見たときのことを思い出しました。(廣島氏は宮崎県日之影町で80年以上にわたって竹細工職人をされ、その仕事は国内外で高い評価を得ておられます。2013年3月98歳でお亡くなりになったとか)
どうしたらこんなに精緻な仕事ができるのだろうと唸るほどの作品、いえ、それらはあくまで暮らしの中の「道具」だったのですが、美術工芸品の如くとにかく美しかった。廣島氏の言葉が今も心に残ります。
「手を抜くということは、自分をだめにすることじゃからの」「上手下手はその人の一生懸命さから出てくる。一生懸命やったと自分に納得できればそれでいいんです」「人よりいいものを作るというのが、職人の原則じゃった。それは金にならないというのは人間の愚痴じゃ」
話を戻します。
瓦が立てられたら化粧砂利を敷き詰めます。化粧砂利は瓦とのコントラストを効かせるために細かめの白河砂利を選びました。白にすることで清潔感も出ます。
窓から見えないところに自動散水も仕込んでいます。
この自動散水装置の設置だけは私が施工して、何度かテスト散水をして噴射角度など調整もしました。高木や低木だけでなく、苔までもしっかりお水が行き届くように設計したので、これから梅雨が明けてもお水遣りのサポートになるでしょう。
苔は施工パートナーの提案で、3種類(這い苔砂苔、山苔)を混ぜて貼っていただき、とても自然な感じに仕上がりました。
マルチングや化粧砂利で土が見えなくなると、本当にスッキリとします。
お引渡しの日の午後はあいにく土砂降りでした。雨で泥はある程度洗われるとはいえ、ちゃんと水を打って掃除も丹念にしました。当然ながら自分達は濡れ鼠状態です。履いていた長靴に水が溜まるほど!
ざっと着替えてから帰りの高速に乗りましたが、なんだか体の芯まで冷えちゃって。もう8時過ぎてたし途中のSAで「近江ちゃんぽん」を久しぶりに食べました。滋賀に戻った感じがして美味しかったなぁ。
帰宅して入浴後自分の庭に出ると、いつの間にか雨は上がっていて、空に美しいお月様が浮かんでいました。
思はぬに しぐれの雨は 降りたれど 天雲晴れて 月夜さやけし
万葉集にある詠み人しらずのこの歌が思わず頭に浮かびました。たまたま今秋の書展に出品するために選んだ歌だから知っていたのです。現代語訳が不要なほどに、わかりやすい歌。恋の歌とも宴の歌とも何とでも解釈できそうな歌で、でも目に浮かぶ情景はとても美しいでしょう?この歌が何故か作庭後の心境にぴったりハマって。
満月二日後まだたっぷり丸くて、煌々と輝くお月様はご褒美のよう。想像以上に大変だった現場でしたが、良い雰囲気に仕上げてもらい、周りの方に喜んでいただけて、気分は晴れやかでした。
(こちらの施工例掲載は未定です。ご覧になりたい方はお問い合わせください)