新しい庭のカタチを模索中

事務所でブログを書いています。今は夜。

開け放った窓から、流れてくる虫の声は、松虫や鈴虫。少し湿った夜風を受けて、夏の名残りの風鈴も物憂げな音色を奏でています。互いの存在を知ってか知らずか・・・三重奏。ひとりそっと耳を傾けています。

夜の事務所前。植物がいっぱい植わっているので、秋の虫たちもいっぱいいて、毎晩大合唱してるのよね。

虫の声といっても、本当は声ではなくて、羽を擦り付ける音。それに、優雅に歌っているのではなく、子孫を残さんがため、オスがメスにアピールしているのだそう。虫たちは人や動物よりも遥かに寿命が短い。生きるのに必死のパッチやなぁと思ってしまう。余計なお世話でしょうけど。

常々私は、虫の一生を知る度に、あぁ、自分はなんて体たらくな日々を送っているのかと身につまされます。ひたすらに命を繋ぐためだけの虫の一生、特にオスの場合は、交尾のあとメスに食べられちゃうとか、直後に絶命する場合も珍しくありません。美しくも悲しい生き様です。どんな生き物も、何かしら役目をもって生まれてくるといいますよね。とすると、松虫も鈴虫も、グロテスクで気持ち悪い虫でも、食物連鎖や環境のバランスを保つために生まれてくるのではと考えます。

こんな風に虫のことを、頭や気持ちでは、生き物として尊重しているつもりのマブチですが、これが自分の大事な庭を食い荒らす虫となると、途端に敵視してしまいます。中には集団でもって、たった数日間で木一本丸裸にするほど、獰猛な食欲を持つ虫もいますからね。そのものたちは、鈴虫のように鳴いてくれず、葉っぱの裏に隠れていて、とてもとても見つけにくい。そして生死をかけて一日一日を過ごしています。一方私達は、庭の木一本無くしたところで、死なないと確信しています。だから虫に負けるというか、好きなようにやられてしまうのです。

でも、虫にやられっぱなしでへこんでしまっては、庭の本当の良さも分からずじまいです。虫の壮絶な生に対する執念を、気持ち悪いと思ってしまっては、庭を育てる意欲もなくなるでしょう。私はそこをなんとかしたいのです。

一番は、理想論ですが、やはり庭を健全に保つことをおすすめします。植物が元気なら、虫や菌に犯されにくいです。適度に剪定されておれば、風通しがよくなり、潜まれる可能性も低くなります。植物が欲しいだけ水や肥料を遣り、多様性のある植栽にするべく、適材適所に植えていく。そうすると見た目も美しくなります。そして、食物連鎖の輪を勝手に切らないことも大事。天敵を殺さない、鳥も大事にする。・・・これで随分と無駄な殺生をしないで済みます。気持ち悪い思いも減るでしょう。

日々の庭仕事をコンスタントに続けていくこと、庭に触れて楽しむことが、本当は一番いい。いい庭というのは、設計という土台作りも大事ですが、6割以上はメンテナンスによって決まるのです。慈しみ手をかけた庭というのは、見たら一発でわかるし、本当に素晴らしいもの。

でもでも、わかっちゃいるけれど、忙しい現代。そうも言ってられないようで。求められているのは、土台で8割がた決まる庭。メンテナンスは2割程度でも決まる庭。

庭は生き物だから、育てるつもりがほぼないなんて、そりゃないよ~と本心では思っていますよ。でも楽してきれいな庭の方がいいに決まっています。何もしなくてもきれいな庭なら、作りたいと思うでしょう。都合のいい庭、というとキツイ言い方かもしれませんが、それがイマドキの方が望んでいる庭なのかな。

ま、そう書いてはみたものの、まだ具体的にはよくわかりません。放ったらかしにされたり、都合よく利用されてるなんて、私だったらいじけてしまう。そうじゃないねん、放ったらかしじゃないねんよ、という庭って。いっそ、植物のない枯山水にする?安直か。

皆様どの様に思われますか?ご意見賜りたいです。

Please Share!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

Dear Garden 代表
ガーデンデザイナー、一級造園施工管理技士

庭づくりを通して感じたことや、最新のガーデン事情、設計について、施工現場の様子、ガーデンデザイナーの暮らしや興味があること、などなど様々なコラムをお届けします。

目次